
賃貸でアパートを借りる場合、たいてい部屋には洗濯機はなく、アパートに設置されているコインランドリーを利用することになる。
先日いつものとおり洗濯が終わったころを見計らい階下にあるコインランドリーにいくと、残り11分で洗濯機が止まっていた。そして、再開させ、11分後に行ってみると、脱水がされていなく、洗濯物はびしょびしょだった。
こういうところにおいてある洗濯機は全自動洗濯機で、脱水だけできるわけではなく、こういう場合、もう一度はじめからセットしてやりなおさなければいけない。
洗濯機に表示されている洗濯機を管理している会社の電話番号に電話し、故障のことを告げ、1回分のコインランドリー代をチェックで送ってくれることになった。
私は指示されたとおりその洗濯機に故障の張り紙をし、洗濯物はもう一度隣の洗濯機にかけた。
そして次の日、別の洗濯機にカードを差込み、洗濯機がロックされ、運転し始めたところでカードを抜き取ろうとしたら、なんとカードが半分に割れ、半分機械のなかに取り残された。もはや抜き取ることは不可能な状態だったので、そのままにし、洗濯機の番号を控え再度同じ電話番号に電話するはめになった。
新しいカードと、カードの残金分を送ってくれることになった。
少し前まではその名のとおりコインを直接洗濯機に投入していたが、最近はカード式に変わっていて、20ドル分をカードにチャージし、洗濯機にカードを入れると一回分づつ金額が引かれていく仕組みになっている。
コイン式だと25セント硬貨をいつも切らさないようにしなければならなかったので、カードになったのは便利だが、私は以前カードを抜き取り忘れ、気づいたときには誰かが持っていってしまっていた。しかたなくアパートの管理室へいくと、普通は二枚目のカードは20ドルかかるが、たまたま古いカードがあり無料でくれた。新しいカードは新たにチャージする必要があり、抜き取り忘れたカードはチャージしたばかりだったので痛い経験となった。
さてそのカードは見た目は相当古かったが、まさか割れてしまうとはおもわなかった。
私は再度洗濯機に故障の張り紙をした。

たまにスーパーで冷凍のサーモンが売られていると買っている。まるごと一匹、頭と内臓を取り除いた状態で売っている。
なるべく小さめのを買うが、今日のサーモンは、850グラムで2.79ドルだった。
一日かけて冷蔵庫の中で解凍し、塩を振ってオーブンの中へいれBROIL機能で焼く。こういうとき、オーブンが大きいのは便利だとおもう。
おもにJ次郎が週一の出社日の前日に焼く。J次郎はおにぎりが好きで、サンドイッチかおにぎりかと聞かれると必ずおにぎり、というくらいのおにぎり好きだ。
その夜はしょうゆと炊きたてごはんで食べ、次の日のJ次郎のおにぎりの具にし、私のランチになり、残りは雑炊ににしたり、鮭フレークっぽいのをつくり食べ終わる。
これを買うたびに、カナダにいるんだなあ、としみじみ実感する。

今の時期が旬の牡蠣を買ってきた。生でシーフードを食べる習慣がない土地で苦労せず普通に手に入る唯一の食べ物だろう。寿司やお刺身などの生ものが恋しい私にとってはうれしい食べ物だ。
今日はP.E.I産(Prince Edward Island、赤毛のアンで有名なプリンスエドワードアイランド)のMALPEQUEという種類の殻付の牡蠣を買ってきた。6個で5.99ドルだった。
冬には2,3回牡蠣を買ってきて食べるが、今では殻をあけるのもだいぶ上達した。一番初めのときは、あけ方をインターネットで検索して、たった6個に手に傷をつけながら30分以上かかった。
こぶりな牡蠣1個あたり約1ドルは、ちょっと高い気もするが、調べてみるとこのMALPEQUEという牡蠣はレストランなどでは他のと比べると高い値段がついているらしい。
酢醤油を少したらしつるっと食べる。ふたりで分けてひとり3個づつはあっというま。次は他の種類も混ぜて買って食べ比べしてみたら楽しめるかもしれない。
いつかP.E.Iへ行くことがあったら、牡蠣のおいしい季節もいいかな、とおもった。

鶏ハム作りに挑戦してみた。
こちらでは鶏の胸肉は皮なしで売られているので鶏ハムづくりにはちょうどよかった。
鶏ハムの作り方はネットで検索すればたくさんでてくるが、私の好きなおもにほっとくだけの放置系料理で、時間はかかるとしても手間は少なく、大してコツなども必要なく失敗も少ない料理だとおもう。自分でつくれば無添加だし安心して食べられるのもうれしい。
初めてでもうまくできて、ハムっぽくつるっとした仕上がりになった。
さっそくたっぷりのレタスとはさんでサンドイッチにしたり、チーズとはさんでパニーニ風にホットサンドにしてみたり、おいしく食べることができた。

3日間にわたってMetroTrontoConventionCentreにて開催されていたフィナンシャルフォーラムへ、土曜日の最終日に行ってきた。
私たちには一応個人的にみてもらっているファイナンシャルプランナーがいるが、最近どうもうまくいっていない。
もともとはJ次郎が以前シェアしていた部屋にルームメイトのファイナンシャルプランナーが来ていて紹介されたのが、親身になって説明してくれる姿をJ次郎が気に入り、そのまま彼と契約したのだった。まだファイナンシャルプランナーとして駆け出しの彼は、なにか質問するとすぐに連絡してくれ、熱心で誠実に対応してくれていたのでJ次郎は彼のことをとても信頼していた。
ところがその彼が突然やめることになり、経営者でもあるその彼の父親が私たちを引き継ぐことになった。が、宝くじをあてたような人々を顧客にしている、というその父親とは、いまいち関係がうまくいかない。そのうち新たに人を雇い、私たちの担当もそのひとになったらしい。それだけ。
まあ私たちから得られる利益などほんのごくわずかなので時間を割きたくないのはわかるが、私たちも契約の期限があるので、やめたくてもまだ彼らとの契約を打ち切るわけにもいかない。が、少なくとも、信頼して今後の計画を相談したい、ともまったく思えない。したとしても親身になってくれるとはおもえない。
それにその父親を、J次郎を介しJ次郎の父親に紹介したところ、J次郎父が運用を任せたお金が最近の不況のせいで100万円以上目減りした。投資にはリスクがつきものだし、もちろん最終的には投資することを決めたJ次郎父の責任なのだが、決してお金持ちとは言えない一家での出来事なので、痛い話だ。
こういうことがあり、まあ自分たちでしっかりやっていこう、と決めたわけで、今回フォーラムへ行ってみたのもそんなこともあったからだった。
毎月RRSPに入れているぐらいで今のところ私たちには投資するほどの資産などないが、いくつかのセミナーに参加し、将来を見据え、お金を有効に活用するということをじっくり検討する良い機会となった一日だった。

ここのところ最高気温が連日マイナス10度を下回る日々が続いていた。今朝はやっと寒さが和らぎマイナス5度になった。ずっと降っていた雪もやんだのを見計らってスケートをしにでかけた。
日曜日の朝11時、近所のスケート場へ着くと、誰もいなかった。そして夏は噴水になるスケートリンクは雪で埋もれていた。そういえば昨日から雪が降り続いていたっけ。
しばらくしてロッカールームの鍵を開けに監視員が来た。今日はスケート場はオープンしないのかと尋ねると、除雪車が来次第滑れるけれど、いつくるか定かではないと、マネージャーらしき男性は言い、さらに、連れてきた新入りらしい男性をさし、なんだったら、彼がシャベルで全部雪かきしようか、とも澄ました顔で提案してくれた。新入りの男性はぎょっとした表情をしていたけれど。
さすがにマネージャーの提案は断り、午後になったらまた来ることにして、私たちは家に帰った。
午後になって再び雪が降り始め、この冬初めてのスケートは断念した。

そもそも、出国するときは、どの国の出国審査もたいてい問題ない。少々問題なのは、チェックインするときの航空会社のカウンターでの対応だった。
私は、カナダでの滞在方法として、観光ビザの延長を、日本へ帰らず6ヶ月ごとにカナダ国外へ出る、ということを何回かした。いつもJ次郎と一緒に、旅行にでかけたが、そのたびに、カナダでのビザがないことがわかると、別の職員がでてきて、説明したり、時間がかかった。
最初から、カナダでは観光ビザで滞在するつもりだ、などと言っていたらインドでも面倒くさいことになっていただろう。
さて、カナダに着き、カナダの入国審査官にパスポートを見せると、今日はランディングだね?と聞かれた。
私は、2ヶ月後ごに日本へ帰りたいけれど、今申請したらPRカードが間に合わないからランディングは日本から帰ったときにしたいので、今日はしない、と伝えた。
すると、じゃあなぜカナダへ戻ってきたんだ、と聞かれた。なるほど、もっともな質問だとおもった。正直に、コモンロー関係であるJ次郎と暮らすためだというと、カナダに住んでるのか、と聞かれ、そうだ、と答えると、無言でパスポートを返した。
そして指示されたとおりいつもの隣の部屋へ行った。
20代半ばと思われる女性の審査官のカウンターへ行き、先ほどと同じ説明をし、ランディングは今回しない旨を伝えると、彼女は、困惑した表情になり、ここにはONCEと書かれているから、ランディングしなきゃいけないのよ、という。私は、努めて感じ良く、そうではないとおもいます、というと、彼女は席を離れた。端のほのうカウンターには、いかにも仕事も人生もベテラン、といったふうなどっしりとした体つきの女性がいて、先ほどの女性は彼女に質問している。その度にそのベテラン女性は、OK、OK、she is OK、と繰り返している。
そして再び私は呼ばれ、ではいつごろランディングするのかをきかれ、2月中にはできる予定、と答えると、彼女はパスポートに入国のスタンプを押し、私はその部屋を後にした。

インドを出国することについては、特に問題がおきるとはおもっていなかった。
ところが、ハイデラバードの空港にて、KLMのカウンターでチェックインして搭乗券をもらうとき、職員にランディングするときの書類を持ってるか聞かれた。インドに持ってこなかったと伝えると、数分待たされ、最初に対応したときとは別の男性の職員があらわれ、カウンターから少し離れたところへ移動した。
ランディングしないことについて、一応インドに書類は持っていくかどうかは迷ったが、紛失することを恐れ、インドへは持ってこなかったのだ。
その男性は、ランディングするのに書類が必要です、という。私は、ランディングは記載してある期限内にすればいいことを告げたが、彼は、このビザを持ってる以上、カナダへ入国するのには移民申請しなければならないし、書類が必要だ、と譲らず私のいうことには耳を貸さない。そんなことはない、それは誰が言ったの?カナダ大使館に電話してみたら?というと、彼ははっとした表情で黙った。あ、でも今は夜中だから閉まってるわね、とさらに続けると、彼はカウンターへと一旦もどって行った。
最後の最後で非常にインドらしい展開だった。
気がつくと、そこらへんにいたKLMやら空港の職員やらが何事かと集まってきていた。
再び先ほどの男性が戻ってくると、今度は、カナダでのビザはどうなっているんだ、と聞く。私は、このビザは、移民申請にパスした証であり、入国するのは、問題ないんだ、と説明したが、でもこれは移民するときのビザで、ONCEと書いてあるから、一回入国したら移民申請しなければいけないんだ、という。
移民申請中は、観光ビザの延長申請をし、観光ビザでの滞在だったが、パスポートと一緒に送ったところ、その観光ビザの紙は回収されていた。
そこで、観光ビザは6ヶ月有効で、入国したときにもらえるものだから、カナダへ行ったら、その観光ビザが自動的にもらえるんだ、まったく問題はない、と強めに言ったところ、彼は、またカウンターへと向かい、再び戻ってくると、やっと納得した様子になり、失礼しました、マダム、よいご旅行を、などとすまなさそうに挨拶してくれた。
私も、めったにないことだから、しかたないよね、などと返し、ようやくゲートへ向かうことができた。
出国審査はまったく問題なかった。ただ、私は30分に渡る職員とのやりとりですっかり調子が狂い、オフィサーが、スタンプを押し終えてから、搭乗券は返してくれたのに、私のパスポートを返し忘れたのにその場で気づかなかった。カウンターを離れてバッグのなかに搭乗券をしまうときに気がついたからよかったものの、そうでなければ、どこで失くしたかもわからなかっただろう。危ないところだった。

今現在私の移民過程は最終段階を迎えつつある。
J次郎がスポンサーになり、カナダに滞在しつつ国外申請をし、2008年10月に、マニラよりパスポートが書類一式とともに返送されてきた。あとは、一旦カナダ国外へでて、再び上陸する、ランディングをし、PRカードの申請をするのみだった。
12月くらいに、日本へ帰りたかったので、そのときランディングを済ませる予定だった。ところが、11月にインド行きが決まった。その後日本へも帰りたい。問題は、申請してからPRカードが届くまでに時間がかかることだった。
インドから帰ってきたときにランディングをしてしまうと、日本へ帰るのが大幅にずれこんでしまう。PRカードを受け取ってから航空券の予約をするほうが確実だし、日本での滞在中の友達との旅行の予定もたてたかった。PRカードが届いても、不具合があれば、訂正にさらに時間がかかってしまう。
そこで、日本から帰国するときにランディングすることにし、インドから帰国時にはランディングはしないことにした。調べてみると、期間内であれば、そのことに関しては問題はないようだった。
期間内とは、この場合、マニラよりパスポートが戻ってきたときに新たにパスポートに貼り付けられたVISAの有効期限である。これは健康診断を受けた日付より1年間なので、移民申請書類を提出する直前に健康診断を受けておいてよかったとおもった。
さて、私の場合、有効期限が切れるのは2009年の4月の上旬なので、2月に日本から帰ったときにランディングするのは問題ない。

久々にJ次郎はジムへ行き、体重を量った。最後に量ってからずいぶんと日が経っていた。インドへ一月ほど行ったり、その後カナダへもどってからは仕事で忙しくて手をつけていなかった、提出期限の迫った課題に追われていた。J次郎は通信制の学生でもある。
本人は現実と向き合うのが少々怖かったようだけれど、結果は3.5lbほど減っていた。
インドから帰国後は辛い料理で胃が疲れていたのか、体調を崩し食後に胃痛があり、食事の量をかなり控えて、おかゆや雑炊で過ごしていた時期があった。そのことが体重減につながったおもわれる。
そしてBMI値も肥満と標準のボーダーから抜け出し、めでたく標準領域内になり、健康面からは一安心。
しかし、まだお腹にはたぷっと脂肪がついている。ビーチリゾート大好きなJ次郎は、27歳にしてはかっこ悪いと気にしていて、そのおなかまわりの脂肪がもう少し減ったら着られるジーンズやパンツを買い込んである。無理やり着れば着られるが、あともうすこし、というぐらいなのだ。
一応目安にしていた体重にはあと2kgなのだが、果たして2kg痩せただけでそのパンツがゆとりをもって着られるかは疑問。
こうしてまだまだJ次郎のダイエットは続きそうだ。
今、私はひとりでジムへ行っているが、今週末の課題の提出期限が過ぎたら、集中してみっちりとJ次郎のジム通いを始めるつもりである。