フランシスコザビエルの遺体が安置されている教会

14 years ago

ゴア最終日。

ホテルのチェックアウトは12時。それからさくっと観光してバンガロールに帰る予定だった。

12時前にロビーに集まったのは私たちと、車の持ち主のパンツ君のみ。

12時半過ぎ。外に朝食を食べにでていて携帯もつながらなかった2人がホテルに到着した。やっと出発できるかとおもったが、パンツ君の車にガソリンがほとんどないのでガソリンスタンドに行った。が近所にみあたらなかったのですぐに戻ってきた。

そして、皆でなにやらヒンズー語で会話しているが、英語で、それは無理だとおもう、などと聞こえてきたところでひとりが走って行った先は、

↓目の前の黄色の建物。

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↓ よくみるとキオスクみたいにおばちゃんがいて、ガムや飴などが並べられている。

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私は近くのガソリンスタンドへの道を聞いているのかとおもったが、違った。そこは貸しバイク屋で、彼が抱えて戻ってきたのは、これ↓

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こうしてめでたくガソリンが補給できたところで出発できたのは1時過ぎ。

向かった先は、砦。

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すごーく暑いので、すぐに灯台の日陰に避難した。

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しかし、数人が暑い中延々と写真を撮っていた。インド人は写真好きらしい。最近は、特に自然なポーズで撮るのが流行っているらしく、不自然に自然な写真を撮っていた。

↓次に向かったのは教会。

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見事な教会だった。そもそも私がゴアにくることを妥協したのは、この観光が目当てだった。

↓天使の上の窓がついた棺にフランシスコザビエルの遺体が安置されている。

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↓出口へ向かう回廊

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↓回廊からトイレへ向かう途中でお昼寝中の子犬たちを発見。

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パンツ君が財布を無くして探したりひとりが耳が痛くなって薬局を探したりして教会を出発したのは午後4時近く。

帰りは行きもずっと運転してくれ、強引にタイヤ交換にもっていったタイヤ君がまた運転してくれた。

この彼、3ヶ月で30キログラム痩せたそう。J次郎も30キロ痩せたが、2年くらいかけたのに。彼いわく、毎日3時間ジムで運動し、液体をおもに摂取するリキッドダイエットをしたそう。朝食には牛乳を1リットル飲んだというが、子牛か。

また、彼は道で子猫をみつけ拾って帰りたがったが、まだ400キロは走るので残念ながら却下されていた。

バンガロールのホテルに戻れたのは次の日の朝10時半過ぎだった。やはり12時間以上はかかった。今回わかったのは大勢で移動する場合収拾がつかなくなるので、休憩時間が限られている長距離バスに乗るべきだ。

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不良中老年の聖地、ゴア

14 years ago

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次の日。1月2日。

私とJ次郎はぐっすりと眠ったが、男の子たちはあれからさらに飲みに繰り出したようで、女の子2人は誘われなかったとむくれていた。

男の子たちは浮き足だっていた。水着姿の女の子を観察するのにここぞとばかりにはりきっていた。私が、でも、サングラス持ってきてないじゃん、と指摘したら、相当感謝され、皆でこぞってサングラスを買いに行った。私もついていったら、露店で5個買うからと、ひとつ250ルピーから180ルピーに値切っっていたので、私もひとつ購入した。

ビーチに着くと、ピークシーズンだけあって、ものすごいひとだった。

私たちの行ったところはカラングートビーチというところで、インド人と、それに紛れて白人の不良中、老年が多かった。彼らは朝9時くらいからカフェでビールを飲んでいた。欧米からのリタイアした人々が多いとは聞いていたが。

ゴアはヒッピーの聖地だったのだ。

海はさほどきれいではなかった。沖縄やカリブ海のビーチのほうがよっぽどきれいだとおもった。

男の子たちはバナナボートに2回も乗っていた。私も誘われたが頑なに拒み、みなの荷物番も兼ねてパラソルの下でくつろぐことに専念し、前日の24時間耐久ドライブの疲れを癒した。しかし暑いので水着姿になっていたが、(比較的)若いひとで水着姿になっている女性は珍しいのか、インド人のおじさんたちに容赦なくじろじろみられたが、もはや構うものか。

いろいろなもの売りがひっきりなしに何かを売りにきた。まだ幼い小さな少女もスナック菓子を売りに来た。

それにしてもパラソルの下でも暑かった。インド人たちはパラソルの下で寝転がっているが、白人たちはパラソルをたたみ、炎天下のなか焼きに入っていた。暑くないのだろうか。

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インド人の女のひとは水着姿にはならない。インド服や洋服で海に入る。男は、若い子は普通の短パンにTシャツ、おじさんは下着のボクサーパンツかブリーフ一枚、もしくは服のままだった。水着の着用率は極めて低い。ことごとく常識を覆される国だ。

夜はレストランで食事をした後、アイスクリームを食べた。サーティーワンの裏手にあるアイスクリームショップで、インドの果物のフレーバーが主に食べられる。次の日も朝食を終えてから食べに行ったほどおいしかった。

食事した後クラブに行くか、ビーチでのパーティーに行く予定だったが、J次郎はほろ酔いと、お腹一杯になってダウンしてしまい、私たちはホテルへ帰って寝た。皆は遅くまでビーチで飲んでいたいたよう。

次の日、歩いていて、ふと前を歩いている白人の足をみると、両膝から下が片足だけで20箇所以上蚊にさされた跡があった。でも、J次郎の同僚たちは、夜でも短パンにビーチサンダルだが、蚊にさされた形跡が全くない。一体なぜなのだろう。今度彼らに会ったら蚊にさされることがあるか聞いてみようとおもった。

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元旦にバンガロールからゴアへ移動

14 years ago

31日の夜7時。仕事中のJ次郎から電話がかかってきた。

「今夜仕事が終ったら皆でゴアに行こうと計画しているんだ。車と運転手を手配して、サービスアパートメントに泊まることになるとおもう。」

私は何故か気乗りがしない。でもJ次郎が行きたがっていたゴア。旅支度を始めてホテルでJ次郎の帰りを待った。

夜9時。再びJ次郎からの電話。暗い声。思えばこれは前兆だったのか。

「手配していた車が直前にキャンセルになった。今別の車を探しているけど、どうなるかわからない。」

それからなんとか別の車もみつかって決行となり、J次郎も帰ってきて、部屋の外は花火やらカウントダウンで騒がしいなか、シャワーを浴びたり荷造りにいそしんだ。

12時半。ホテルを出発。集合場所はJ次郎の会社。ホテルの車で向かうが、途中、通り道に住んでいるという同僚を迎えに行った。しかし、彼女の家は全然通り道じゃなかった。むしろ逆方向。彼女いわく、すぐそこ、5分くらい、だが、ホテルから会社まで30分くらいで着くところ彼女の家に寄ったため1時間かかった。

集合時刻の1時半に着いたが、もちろん私たちが最初。私たち含め男8人、女3人、合わせて11人プラス雇った運転手1人の旅だが、2時の時点で私たち含め4人。2時半になりやっと残りのメンバーが到着。ひとりはすでに出来上がっていて、ビーチサンダルにTシャツ、下着のパンツ姿で登場。皆20代前半から後半で、若いメンバーなのだ。なんだか先がおもいやられた。

とうとう出発できるかとおもいきや、先ほど家に迎えに行った同僚が携帯を落としたことに気づき、絶対に見つかるまで出発しないと頑と譲らず、出発は1時間遅れた。

出発した後、私たちのホテルから歩いて3分ほどのところを通過した。私たちはなぜ集合場所に行く必要があったのだろう。

車は2台で、私たちが乗ったのはさきほどのパンツ君が所有している車で、窓は手動という軽自動車だったが、朝になると、タイヤがパンクした。酔っ払っていた彼は長時間の旅に備えて替えのタイヤなどもちろん常備しておらず、街中でもなかったため、もう一台の車がタイヤを直して戻ってくるまで延々と待つはめになった。

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↑ 暇だったので車を降り、これを渡って柵を越えてみた。

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このようなほぼ同じ店がずっと連なっている。

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朝なのでにわとりがけたたましく鳴いていた。

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あ、むこうから野良犬がやってきた、とおもったら、

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野良豚だった。噛まれるから近ずかないように言われる。

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子猫発見。睨まれる。

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男の子が捕まえて得意げにみせてくれたが、猫猛烈に嫌がる。

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子猫達。やはり睨まれる。

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よくみると、ひよこたちが10羽くらいいる。

フロントガラスが曇るので窓を開けている必要があり夜は寒かったが、昼になると炎天下で暑かった。そしてさらに別のタイヤもパンク。修理に時間がかかった。このときはタイヤにネジがささっていた。

同僚のひとりがにこにこと、説明してくれた。このネジは取り除かれたあと、再び道路にばら撒かれるんだよ。そうすればいつも仕事にありつけるからね。私には冗談には聞こえないのだけれど。

車の持ち主のブリーフ君は二日酔いで運転できなかったが、この一件にうんざりした運転していた別の同僚が、後に強引に回り道をして予備のタイヤを調達すべく中古タイヤ屋へ行くが、ここでも1時間近く待たされる。ちなみに帰りみち、案の定タイヤに不具合があり使うときが来た、とおもったが、そのタイヤも空気が十分に入っていなく結局使いものにならなかった。

牛の群れが道路を横切るのを待ったり、食事したり、チャイ(紅茶)タイムやらでなんとか州境まで到達したのは、夜もふけてからだった。あともう少し、だったのだが、新年のお祭り騒ぎに伴うトラブルを回避すべく、ゴアへの道が封鎖されていて、後戻りして回り道しなくてはならなかった。

そしてホテルに着いたのは夜中の1時。私たちがホテルを出発して24時間が経過していた。最初に聞いていたのは、早くて9時間、だいたい12時間で着くとのことだったのに。

道も相当悪く、この24時間、一体何度私は後悔しただろう。自分の勘には従うべきだったと。

若いインド人が9人も集まれば予定どおりには進まないものであるが、J次郎は本当にうんざりしてしまい、本当は女子部屋と男子部屋に別れて宿泊する予定だったのを、私とJ次郎2人で1室部屋をとってもらった。部屋に入ってみて、これは正解だったと心からおもった。

ここのサービスアパートメントには2泊した。一応部屋にエアコンはあったがエアコンをつけると水がもれるのでバケツを置いたり、ベッドの下の立派なゴキブリの死体をみてみぬふりをし、蚊も殺したりした。2日後旅を終えてバンガロールのTaj west Endに着くと、天国に思えた。

私はこの元旦を一生忘れないだろう。

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