話が違うではないか、、、。
前回、エルサルバドルを訪れたのは、2019年12月。コロナが始まりかけたころだった。
良いところだからきっと気に入る、とJ次郎父に言われその気になって行ってみた。季節は冬。トロントの寒すぎる冬から逃れたかったことももちろんあった。
それがどうだ。行ってみたら、絶対に外は歩くな、とまさかの外出禁止令。自由に歩けるのは、J次郎父が購入した家が建っている集合住宅の敷地内だけ。上には電流の流れる高い壁にぐるりと囲まれた、外周歩いて30分ほどの敷地の入口は頑丈な鉄の扉で常に閉ざされ、敷地内は銃を構えたセキュリティーが巡回している。まるで刑務所のよう。
歩いて行ける距離にはちょっとした商店街がある。郷土料理のププサを売る店がずらりと立ち並んでいる通りがあってそこで買い物したりププサを買ったりしたかったが、そんなこと絶対にだめで、食べ物はウーバーで出前を取るか、タクシーを呼んでショッピングモールへ行くかしなければいけない、という。
観光はといえば、まるでお目付け役のように、J次郎親戚の誰かとともにセキュリティーのいる施設だけOKとのこと。首都のサンサルバドルは絶対に行ってはいけない、という。
そして、家は中間クラス向けの新築物件なのに、シャワーは水しかでなかった。エルサルバドル初日から3日間、J次郎からうつされた風邪で熱がでていたので、水シャワーはきつかった。熱がさがってからも激しい下痢に悩まされ、食べても栄養が吸収されないので、まぶたがぴくぴくと痙攣するようになり、原因不明の湿疹が背中一面にでた。
忘れもしない12月31日、大晦日の晩は一晩中隣人が外にDJセットを設置して音楽を爆音で流してパーティーをしていたので高熱のさなか一睡もできなかった。テンポよくアレンジされたマカレナをこの晩は三回も聞いた。
それもこれも、当時エルサルバドルは殺人率世界トップクラスの国だったから。しかし、それだけではない、きかされていない事実があった。そもそもJ次郎父が購入した新築集合住宅地の裏手は当時ギャングが住むエリアだったのだ。今回の滞在ではじめてそれを聞いたとき愕然とした。白状すると、うっすらと怒りもこみあげてしまった。知っていたら、絶対に行かなかったよ。どうりで、夜はかなり涼しくなる気候にもかかわらず暗くなったら窓はすべて閉めなければいけず、クーラーをつけなければならなかったのだ。ゲート内に建てられた家なのにおかしいと思っていた。
それがどうだ。今回、夜にエルサルバドルに着き、空港まで迎えにきてくれたJ次郎の叔父さんが、夜も更けているというのに、公園を歩こうと言い出し、クリスマスできらきらにライトアップされた公園を皆で歩いたのた。ちなみに前回窓を閉めていなくて怒られた叔父さん。
まさかたった5年でここまで変わるとは。相当たまげました。とはいえ、当のエルサルバドル人もまだ平和慣れしていないようす。それもそのはず、これまでの人生でずっと昼間でも自由に外を歩くというものがどんなものか知らずに生きてきた人々なのだ。
スペイン語で救世主を意味するエルサルバドル。空港では、まさに救世主のごとくブケレ大統領とその妻の写真が誇らしげに掲げてあった。