前回の続き。
ひとつのドレスはクリスマス用に、と、イブに受け取ることができ、調整が必要なもうひとつのドレスは、お正月用に、ということでクリスマス明けの月曜に、仕上がります、と言ってくれた。
それで、その月曜に行ったところ、年明けになるという。
年始はゴアに旅行にでたこともあり、余裕を持ってさらに年明けてから1週間後、再び店へ行った。
すると、さらに3日かかる、という。
ん?まあ、何か事情ができたのに違いない。でも、この時点でインド滞在が延びることが決定したこともあり、できていないんだから仕方ない、と、さらに待つこと数日。
そして数日後電話をすると、もう数日かかるといわれる。
これは、絶対におかしい。のびのびになってもう3週間も経とうとしている。
そして来週には私はインドを発ってしまうのだから、さすがに私も焦ってきた。
何かあったに違いない。急にひとがやめて人手不足になったか、ひょっとして無くしてしまったか、誤って駄目にしてしまって、もう一度作り直しているのではないだろうか、などと考えていた。
それで土曜にはできるというのを、半ばできていないことを確信しながらその土曜日にJ次郎と一緒にテイラーへ行くと、彼はいなかった。
店の若い女の子が顔を覚えてくれていて、チャイ飲みに行っていてすぐもどるから待つようにいわれる。
そして、座っていてふと目の前のカウンターにみつけたのは、私が持ち込んだのと裏地も表地も同じ布がワンセット。あれ、私の嫌な予感的中?
しばらくして彼は戻ってきて、案の定、まだできていないが、月曜には100パーセントできるという。
来週の火曜にはインドを発つ(嘘。水曜の夜中。)から、頼むから仕上げてくれるように伝える。
すると、なんと、再度採寸をした。ちょっとしたお直しで採寸は必要無いはずなのに。というか、採寸は最初にオーダーしたときに済ませてあるのに。やはり予感的中か。しかし、これから裁断して縫って、月曜に間に合うのだろうか。
さて、どうなるのだろうか。
例え超スピードで新たに作って月曜に仕上がったとして帰国2日前。そして着てみて調整が必要になったらまた時間がかかるのだ。
↑ カボン公園にある美術館のお堀にて。
↑ ある日のバンガロールの街角。
ドレスをオーダーした2日後、考えた挙句、やはりシルクにこだわりたいので、再びテイラーを訪れ、シルクに変えるには遅すぎるかどうか聞きに行った。
すると、まだ大丈夫だったので、今度こそお店の名前もしっかり聞き、クレープシルクを買ってきた。4メートル半で992ルピー。
お店に戻ると、すでに買ってしまった布は裏地に使ってくれるとのことで、その分の値段を仕立て料から引いてくれた。
そしてそれから3週間ほどたったときのこと。
電話することになっていたが忘れてしまい、次の日電話した。
すると、さっき電話したんですよ、昨日来ませんでしたね、今これますか?という。
ああ、歯医者と話している最中に電話がきたのはテイラーからだったのか。しかし、オーダーしたとき、伝票に自分の携帯電話番号書きながら、この日に電話しろ、って言ってたじゃん。
まあ、インドにしては(失礼)営業以外に相手から電話をかけてくるなんて、なんだか感激。頼もしい。私の勘に狂いはなかったかも、なんて、好感度急上昇。
マダム、フィッティングですよ、今からきてくださいね。というので、わかった、また後で。と返事して電話を切った。
実は、オーダーしたときフィッティングについては何も言ってなかったので、この程度の店ではいっきに仕上げてしまって、家に持ち帰ってみて不具合がある場合に再度もって行って直してもらうくらいだとおもっていた。
歯医者と揉め事で暗い気分だったのが一転して明るい気分でいそいそとテイラーへ向かった。
テイラーに着くと、ドレスは2着ともできあがっていた。
私の予想通り、仮縫いではなく、仕上がっていた。
それでは試着してください、といって案内されたのは、物置兼試着室。
試着して少しきつすぎるところなどの不具合をみせ、相談しながら直してもらう。
そして、ドレスにあわせたショールがほしいとおもっていたのを、オバマ大統領の夫人がインドに来たときの写真をみせ、こんなショールが欲しいと告げてみた。
すると、よし、それではついてこい、と、自らすぐ近くの布やへ連れていってくれた。
そして、店に着くと、今届いたばかりとおもわれる布の巻物が目に入り、それがそのドレスにぴったりだった。こうして即決し、ついでにJ次郎のスーツのポケットチーフ用にも余分に買った。
そしてしばらく待つと、すぐにショールとポケットチーフが出来上がり、1着のドレスのお直しも済み、その場で受け取ることができた。
もう1着はその日中には受け取ることができなかったが、週明け(3日後)にはできるので、できたら電話をくれるとのことだった。
と、ここまでは順調でよかったのが。
そして、それからが長かったのだ。
続く。
政府の店で買い物をした後は同じくMGロードにある近くのレストランへ。
ここは、インド人においしいと勧められたところできてみたかったところだった。
↑ カクテルサモサ。125ルピー。ミニサイズのサモサ。私には辛かった。
茶色のソースはタマリンドソース。J次郎のお気に入りのソースで、カナダに持って帰りたいというのでスーパーで一瓶買ったくらい。カナダに帰ったらサモサを頻繁に作ることになりそうだ。
↑ チキンは辛さ控えめなのを教えてもらい、MALLAI CHICKEN TIKKAを注文。295ルピー。ゴアでフライで食べておいしかったマナガツオのタンドーリ、TANDOORI POMFRET を頼んだ。340ルピー。注文するときお願いして辛さ控えめにしてもらった。
マナガツオもチキンもおいしく、チキンは一皿でボリュームがあったので、ナンも頼んだら2人でシェアして十分な量。
デザートには前から気になっていたKULFIというインドのアイスに挑戦。濃厚な味。130ルピー。
海外にも支店があるみたい。
自分たち用のお土産を買うべくMGロードにある政府の店へ行った。
店の名前の下にガバメントなどと書いてあるが、政府の店ではないところも結構あるので注意。
ここでは、店員はいるが、誰も話しかけてこない。じっくりみることができるのでお気に入りなのだ。冷房がついていないため暑いのはということはあるが。
また、価格はすべてついているので、値段だけ知ることもでき相場を把握することができる。
左上はサンダルウッドの木製のレターオープナー。
231ルピー。
右上は本にはさむしおり。
109ルピー。
いずれもJ次郎の好きな象のデザイン。
右のジュートバッグは135ルピー。
まちが広く見た目よりたくさん入る。
軽いし斜めがけで、暑い国をうろうろするのにぴったり。
下のクッションカバーは1枚1110ルピー。J次郎のデスクの椅子に。
Central cottage Industries Emporium←オンラインショッピングもできるらしい。
インドに来る前いろいろ調べていたところ、インドではカナダや日本で処方箋が必要な薬も処方箋なしでも買えるらしいということがわかった。
そこで、いつも処方してもらう目薬がなくなりかけていたので買ってみた。
薬局に行き、空になった目薬のボトルをみせ、これがほしいというと、だしてくてくれた。もちろん会社は違うが、同じもの、同じ容量だ。
そして値段を聞いてびっくり。
12ルピー。25円くらい。
カナダでは、12ドルして、さらに薬剤師にひとつの薬につき10ドルくらいは払う必要があるので、20ドル以上するのに。
また、歯医者で感染根管治療をしてもらったときに処方された痛み止めも、4錠で4ルピーだった。
そこで、レジデンシーロードの和食の播磨が入っている建物で、インドにしてはきれいな薬局をみつけたのでハイドロキノンも買うことにした。
自分なりによく調べ、ハイドロキノンは2パーセントのものにし、79ルピー。50グラムで大容量。
併用して使うと効果が高いといわれるレチノ-ルのクリームも2.5パーセントのものを買った。83ルピー。
両方とも容量が多いが、開封後の期限があるのでつかいきらずに捨てることになるだろうが。
日本で医者に処方してもらったとき、ごくさらっと使い方などを説明してもらっただけだったが、今回自分でじっくり調べてみると、正しく使わないと効果が半減どころか逆効果になってしまうことがわかった。心して使いたい。
ゴア最終日。
ホテルのチェックアウトは12時。それからさくっと観光してバンガロールに帰る予定だった。
12時前にロビーに集まったのは私たちと、車の持ち主のパンツ君のみ。
12時半過ぎ。外に朝食を食べにでていて携帯もつながらなかった2人がホテルに到着した。やっと出発できるかとおもったが、パンツ君の車にガソリンがほとんどないのでガソリンスタンドに行った。が近所にみあたらなかったのですぐに戻ってきた。
そして、皆でなにやらヒンズー語で会話しているが、英語で、それは無理だとおもう、などと聞こえてきたところでひとりが走って行った先は、
↓目の前の黄色の建物。
↓ よくみるとキオスクみたいにおばちゃんがいて、ガムや飴などが並べられている。
私は近くのガソリンスタンドへの道を聞いているのかとおもったが、違った。そこは貸しバイク屋で、彼が抱えて戻ってきたのは、これ↓
こうしてめでたくガソリンが補給できたところで出発できたのは1時過ぎ。
向かった先は、砦。
すごーく暑いので、すぐに灯台の日陰に避難した。
しかし、数人が暑い中延々と写真を撮っていた。インド人は写真好きらしい。最近は、特に自然なポーズで撮るのが流行っているらしく、不自然に自然な写真を撮っていた。
↓次に向かったのは教会。
見事な教会だった。そもそも私がゴアにくることを妥協したのは、この観光が目当てだった。
↓天使の上の窓がついた棺にフランシスコザビエルの遺体が安置されている。
↓出口へ向かう回廊
↓回廊からトイレへ向かう途中でお昼寝中の子犬たちを発見。
パンツ君が財布を無くして探したりひとりが耳が痛くなって薬局を探したりして教会を出発したのは午後4時近く。
帰りは行きもずっと運転してくれ、強引にタイヤ交換にもっていったタイヤ君がまた運転してくれた。
この彼、3ヶ月で30キログラム痩せたそう。J次郎も30キロ痩せたが、2年くらいかけたのに。彼いわく、毎日3時間ジムで運動し、液体をおもに摂取するリキッドダイエットをしたそう。朝食には牛乳を1リットル飲んだというが、子牛か。
また、彼は道で子猫をみつけ拾って帰りたがったが、まだ400キロは走るので残念ながら却下されていた。
バンガロールのホテルに戻れたのは次の日の朝10時半過ぎだった。やはり12時間以上はかかった。今回わかったのは大勢で移動する場合収拾がつかなくなるので、休憩時間が限られている長距離バスに乗るべきだ。
次の日。1月2日。
私とJ次郎はぐっすりと眠ったが、男の子たちはあれからさらに飲みに繰り出したようで、女の子2人は誘われなかったとむくれていた。
男の子たちは浮き足だっていた。水着姿の女の子を観察するのにここぞとばかりにはりきっていた。私が、でも、サングラス持ってきてないじゃん、と指摘したら、相当感謝され、皆でこぞってサングラスを買いに行った。私もついていったら、露店で5個買うからと、ひとつ250ルピーから180ルピーに値切っっていたので、私もひとつ購入した。
ビーチに着くと、ピークシーズンだけあって、ものすごいひとだった。
私たちの行ったところはカラングートビーチというところで、インド人と、それに紛れて白人の不良中、老年が多かった。彼らは朝9時くらいからカフェでビールを飲んでいた。欧米からのリタイアした人々が多いとは聞いていたが。
ゴアはヒッピーの聖地だったのだ。
海はさほどきれいではなかった。沖縄やカリブ海のビーチのほうがよっぽどきれいだとおもった。
男の子たちはバナナボートに2回も乗っていた。私も誘われたが頑なに拒み、みなの荷物番も兼ねてパラソルの下でくつろぐことに専念し、前日の24時間耐久ドライブの疲れを癒した。しかし暑いので水着姿になっていたが、(比較的)若いひとで水着姿になっている女性は珍しいのか、インド人のおじさんたちに容赦なくじろじろみられたが、もはや構うものか。
いろいろなもの売りがひっきりなしに何かを売りにきた。まだ幼い小さな少女もスナック菓子を売りに来た。
それにしてもパラソルの下でも暑かった。インド人たちはパラソルの下で寝転がっているが、白人たちはパラソルをたたみ、炎天下のなか焼きに入っていた。暑くないのだろうか。
インド人の女のひとは水着姿にはならない。インド服や洋服で海に入る。男は、若い子は普通の短パンにTシャツ、おじさんは下着のボクサーパンツかブリーフ一枚、もしくは服のままだった。水着の着用率は極めて低い。ことごとく常識を覆される国だ。
夜はレストランで食事をした後、アイスクリームを食べた。サーティーワンの裏手にあるアイスクリームショップで、インドの果物のフレーバーが主に食べられる。次の日も朝食を終えてから食べに行ったほどおいしかった。
食事した後クラブに行くか、ビーチでのパーティーに行く予定だったが、J次郎はほろ酔いと、お腹一杯になってダウンしてしまい、私たちはホテルへ帰って寝た。皆は遅くまでビーチで飲んでいたいたよう。
次の日、歩いていて、ふと前を歩いている白人の足をみると、両膝から下が片足だけで20箇所以上蚊にさされた跡があった。でも、J次郎の同僚たちは、夜でも短パンにビーチサンダルだが、蚊にさされた形跡が全くない。一体なぜなのだろう。今度彼らに会ったら蚊にさされることがあるか聞いてみようとおもった。
31日の夜7時。仕事中のJ次郎から電話がかかってきた。
「今夜仕事が終ったら皆でゴアに行こうと計画しているんだ。車と運転手を手配して、サービスアパートメントに泊まることになるとおもう。」
私は何故か気乗りがしない。でもJ次郎が行きたがっていたゴア。旅支度を始めてホテルでJ次郎の帰りを待った。
夜9時。再びJ次郎からの電話。暗い声。思えばこれは前兆だったのか。
「手配していた車が直前にキャンセルになった。今別の車を探しているけど、どうなるかわからない。」
それからなんとか別の車もみつかって決行となり、J次郎も帰ってきて、部屋の外は花火やらカウントダウンで騒がしいなか、シャワーを浴びたり荷造りにいそしんだ。
12時半。ホテルを出発。集合場所はJ次郎の会社。ホテルの車で向かうが、途中、通り道に住んでいるという同僚を迎えに行った。しかし、彼女の家は全然通り道じゃなかった。むしろ逆方向。彼女いわく、すぐそこ、5分くらい、だが、ホテルから会社まで30分くらいで着くところ彼女の家に寄ったため1時間かかった。
集合時刻の1時半に着いたが、もちろん私たちが最初。私たち含め男8人、女3人、合わせて11人プラス雇った運転手1人の旅だが、2時の時点で私たち含め4人。2時半になりやっと残りのメンバーが到着。ひとりはすでに出来上がっていて、ビーチサンダルにTシャツ、下着のパンツ姿で登場。皆20代前半から後半で、若いメンバーなのだ。なんだか先がおもいやられた。
とうとう出発できるかとおもいきや、先ほど家に迎えに行った同僚が携帯を落としたことに気づき、絶対に見つかるまで出発しないと頑と譲らず、出発は1時間遅れた。
出発した後、私たちのホテルから歩いて3分ほどのところを通過した。私たちはなぜ集合場所に行く必要があったのだろう。
車は2台で、私たちが乗ったのはさきほどのパンツ君が所有している車で、窓は手動という軽自動車だったが、朝になると、タイヤがパンクした。酔っ払っていた彼は長時間の旅に備えて替えのタイヤなどもちろん常備しておらず、街中でもなかったため、もう一台の車がタイヤを直して戻ってくるまで延々と待つはめになった。
↑ 暇だったので車を降り、これを渡って柵を越えてみた。
このようなほぼ同じ店がずっと連なっている。
朝なのでにわとりがけたたましく鳴いていた。
あ、むこうから野良犬がやってきた、とおもったら、
野良豚だった。噛まれるから近ずかないように言われる。
子猫発見。睨まれる。
男の子が捕まえて得意げにみせてくれたが、猫猛烈に嫌がる。
子猫達。やはり睨まれる。
よくみると、ひよこたちが10羽くらいいる。
フロントガラスが曇るので窓を開けている必要があり夜は寒かったが、昼になると炎天下で暑かった。そしてさらに別のタイヤもパンク。修理に時間がかかった。このときはタイヤにネジがささっていた。
同僚のひとりがにこにこと、説明してくれた。このネジは取り除かれたあと、再び道路にばら撒かれるんだよ。そうすればいつも仕事にありつけるからね。私には冗談には聞こえないのだけれど。
車の持ち主のブリーフ君は二日酔いで運転できなかったが、この一件にうんざりした運転していた別の同僚が、後に強引に回り道をして予備のタイヤを調達すべく中古タイヤ屋へ行くが、ここでも1時間近く待たされる。ちなみに帰りみち、案の定タイヤに不具合があり使うときが来た、とおもったが、そのタイヤも空気が十分に入っていなく結局使いものにならなかった。
牛の群れが道路を横切るのを待ったり、食事したり、チャイ(紅茶)タイムやらでなんとか州境まで到達したのは、夜もふけてからだった。あともう少し、だったのだが、新年のお祭り騒ぎに伴うトラブルを回避すべく、ゴアへの道が封鎖されていて、後戻りして回り道しなくてはならなかった。
そしてホテルに着いたのは夜中の1時。私たちがホテルを出発して24時間が経過していた。最初に聞いていたのは、早くて9時間、だいたい12時間で着くとのことだったのに。
道も相当悪く、この24時間、一体何度私は後悔しただろう。自分の勘には従うべきだったと。
若いインド人が9人も集まれば予定どおりには進まないものであるが、J次郎は本当にうんざりしてしまい、本当は女子部屋と男子部屋に別れて宿泊する予定だったのを、私とJ次郎2人で1室部屋をとってもらった。部屋に入ってみて、これは正解だったと心からおもった。
ここのサービスアパートメントには2泊した。一応部屋にエアコンはあったがエアコンをつけると水がもれるのでバケツを置いたり、ベッドの下の立派なゴキブリの死体をみてみぬふりをし、蚊も殺したりした。2日後旅を終えてバンガロールのTaj west Endに着くと、天国に思えた。
私はこの元旦を一生忘れないだろう。
私は決めた。
一旦は彼女のところで再びジルコニアクラウンをオーダーすることを約束してしまったが(もしかして彼女の作戦?)、同じ値段ならまだしも、倍以上するのものである。
いくらすでに作ってしまったとはいえ、私に落ち度はないのに、再度彼女のところでジルコニアクラウンをオーダーしなくてはいけない、ということもないのだ。
したがって、予約はキャンセルし、もう彼女のところへは行かない。
彼女のところへ行って、ジルコニアクラウンをつくらない、お金も払わない、という話をしても、はいそうでうすか、というわけにもいかず、彼女も譲らないだろう。
そして彼女が連絡してきたときは、彼女では話にならないから、院長と一緒にホテルまで来てもらい、J次郎も一緒に話し合う、ということを告げることにした。
話し合いのとき、院長と話したい、というくだりで、彼女の顔が曇ったのを私は見逃さなかった。このことが院長の耳に届くと、まずいのではないか。
なので、先手を打って院長に直接今回のことを連絡しようかとも考えたが、とりあえずキャンセルだけして、様子をみることにした。
こんな結果になってしまって心苦しいが、さよなら、先生。
そして、月曜の午後、予約しておいた別の歯科医のところへ行った。
型をとり、むき出しになった歯に、左半分のとと同様、仮の被せ物をつくってくれた。
一週間ほどしか使わない被せ物だが、何回もかみ合わせを調整してくれた。
そして、来週にはすでに型取りした左半分のクラウンができあがるそうである。
支払いはもちろん前払い。ジルコニアクラウン2本分24000ルピー、全額支払った。
再び診察室に戻り、10000ルピーは払うことができませんと伝えると、話し合い、というか言い争いが始まった。
彼女は穏やかな方なので、頭に血が上って大声を出してののしったり、罵声を浴びせたりということは一切ないが、かといって気が弱いタイプでもない。
また、開業医ではなく、診察室は病院の中にあった。小児科などがある、普通の病院である。
そして、何故かはわからないが、クラウンに関してはその都度診察が終った後に支払う形ではなく、全てのクラウンが入れ終わった後に一括で支払うことになっていた。
そう、幸いなことに私はまだ2本のクラウンの費用を払っていないのだ。
もし、型取りしたときに前払いで一括で払っていたら、こうはいかなかっただろう。
彼女はすでに作ってしまったのにお金を払わないなんて、そんなことできない、少なくとも8000ルピーは支払うように言ってきた。10000ルピーのところ8000ルピーって、それでもまだ高い。
私も、こういう事態は避けたかったが仕方ない。
私はアレルギーのために金属を取り除きたいと言ったのに内側が金属のものをオーダーしたのはあなたであり、私ではない、この場合悪いのはあなたのほうで、私ではない、私には一切非はなく、支払わないといったことをきっぱりと伝えた。
それでもそんなことはできない、支払いの請求がきたときに院長に説明がつかない、などと言ったので、院長には私が話す、というと、院長はここにはいない、という。では、電話で話す、というと、今休暇中だから、ということだった。
彼女は彼女の主張を、私は私の言い分を主張し平行線だった。
そして、しまいに彼女も、妥協案を出してきた。12000ルピーのジルコニアのものをオーダーするならば、技工士のほうになんとか伝えて安くしてもらうという。
そこで私も、12000ルピーで2本のジルコニアクラウンをオーダーしても良いが、合計で24000ルピー払う以外、取り除いた内側金属のクラウンについては一切支払わないと主張した。
彼女は、わからないがやってみる、ということで、月曜日の朝ジルコニアクラウンの型取りの予約をして診察室を後にした。
ホテルに帰り、その日一日そのことが頭から離れなかった。
私は、左半分のジルコニアクラウンを他の歯医者にオーダーした時点で、その歯医者に内側金属のクラウンをとってもらうこともできた。それだと無料である。
そして、彼女の前に2度と現れないこともできた。
でも、彼女は抜歯してインプラント、などとは言わず感染根管もしっかりと治療してくれたし、私が歯磨きのときの力のいれすぎで歯にダメージを与えていることを教えてくれたりと、歯科医として彼女のことは嫌いではないし(むしろ好き)誠意をみせるべく、再び彼女のもとへもどり、自分の決断を告げ、お金を払ってクラウンをとってもらったのだ。
でも、なんとなく、彼女のもとでジルコニアのクラウンを再びオーダーするのには気乗りがしない。
アレルギーのためとはいえ虫歯や根管治療と違って、金属を取り除きセラミックのものに変えるのは審美の範囲になってくる。
彼女は、商業的ではないし、虫歯などの歯の治療にはいいのだが、審美の範囲になると、他の歯科医のほうが良いようにおもえて仕方がないのだ。
虫歯などの歯の治療に関してはすべて言われたままに支払うが、今回は審美の範囲で、患者の望むこと、満足度に対して支払われるべきである。
よって、金属を取り除いてほしいという理由だったのにもかかわらず、一切説明なしで別の金属のクラウンをオーダーしてしまうのはどうなのか。
そして、いつも、あれ、私の聞き間違いだった?ということがたびたびある。
案の定、話し合いのなかで、内側が金属になることも事前に伝えた、などと言ってきた。これに関してはそのようなことは一切ない。
ここまでトラブルが起きていて、歯の治療以外のことを彼女に任せるのはもう不安なのだ。
J次郎とも意見が一致した。