インドへ行くには観光でもビザが必要になる。
日本のパスポートをもつ日本人の場合、カナダでとるのは少しややこしくなり、時間がかかる。去年はそれで大変な目にあったので、今年は十分な余裕をもって申請した。
トロントでは最近ビザの申請所がインド領事館からかわり、ビザ申請のためのオフィスが開設された。
私のパスポートは15ビジネスデー、つまり15営業日でできるはずだった。月から金までの、祝日をふくまない日数のことだ。
ビザザオフィスでは15ビジネスデーを過ぎたらオンラインにてトラッキングして、ビザができたかどうか確認し、できていなかったら連絡するようにいわれた。
そして予想どおり15ビジネスデーを過ぎてもまだ準備中のままだった。もう一日様子をみて、ビザオフィスに電話した。
何人もひとがかわり、やっと得られた回答は、日本人の場合だから、なんと3ビジネスウイーク、つまり21ビジネスデーだという。
でも控えをもらったときは15ビジネスデーだと言われたし、ウエブサイトにも書いてあるというと、つい最近変わったのだという。
念のためにと、遅れて申請したJ次郎のビジネスビザについても日数の確認をすると、やはり変更があって7~10ビジネスデーだったが、15ビジネスデーに変わったという。
こうなったらもうどうしようもないのだ。システムが変わったのは彼らの責任ではないのだから。
あーーもうーーー!!!ちびまるこちゃんのように、顔に斜線が入る瞬間である。
毎度ながら、インドへの道はスムーズにいかない。
しかし、それでも出発の日までにはまだ間に合うのをカレンダーで確認し、これ以上遅れないよう祈るばかり。
ちなみにこれはとっさについた適当な言い逃れだと思われる。
なぜならその2日後にトラッキングすると、私のビザは用意ができた、にかわったから。
ただ少し遅れただけとおもわれる。
J次郎のビジネスビザも、予定通り7ビジネスデー目にして、準備中から用意ができた、に変わった。
また、先週は、J次郎の仕事のシフトは朝7時開始に変わった。インドとの電話とオンラインでのトレーニングがあるのだ。
だが、2日目、トレーニングはできなかった。トレーニングを受ける彼が予定があり帰ってしまったのだ。
そして次の日も、その次の日も何かと理由をつけて現れずその週はトレーニングできずじまい。
これに関しては、トレーニングを受ける気なんてはなからさらさらないとおもわれる。
なぜならトレーニングを開始するにあたり、まだ準備ができていないとの理由で彼はトレーニングを受けたくないともらしていたのだ。
強行突破にでたとおもわれる。
トレーニングを指示したJ次郎の上司は怒り狂ったが、現れないのは仕方が無く、J次郎に7時から仕事をさせても無駄になるだけなので、結局トレーニングは無しになった。
でも、これがインドなのさ。と、忘れかけていた自分に言い聞かせる。

↑ かぼちゃ3個分の種
かぼちゃを料理するときいつも種がもったいないとおもいつつ、どうすることもできず捨てていた。
ある日健康番組をみていたら、かぼちゃの種は食べられて、しかも大変栄養価が優れていることを知った。健康に良いとあれば、一念発起、食べてみようではないか。
タンパク質が豊富なので、カナダではヴィーガンのプロテインパウダーや、ヘルシー志向のサラダのトッピングにも使われていて、わりとポピュラー。
しかし、手間と時間ばかりかかり非常にめんどくさい。
まず、種にぬるぬるとまとわりつくわたはなかなかおとせない。それなら、とベランダで天日干しを考えたが、リスが出没することもあり、食べられてしまいそうなので無理。そこでオーブンで極低音でローストして乾燥させようとしてみるととなんともいえない生臭いいやな匂いが部屋中を漂った。
その後も殻から種をはがすのが一苦労。キッチンばさみを駆使しても、指が痛くなったり切りすぎて種を切ってしまったり加減が難しい。ぼろぼろとくずれたり、思うようにはきれいにむけない。
ある日のこと、ふと簡単な方法をおもいついた。
次の日の日曜も撮影は続いた。
土曜日から日曜にかけて、夏時間から冬時間にかわり、一時間余裕ができたこともあり、日曜の朝の集合時間は土曜より一時間早い朝6時。指示されたとおり、前日と同じスーツを着込み家をでたのは朝5時。
この日の撮影はほとんど外で、その他大勢のなかに紛れていたが、季節が秋の設定だったため厚着は許されず、寒くて辛かった。
また、フィラデルフィアの街にどしゃぶりの雨が降る設定だったので、雨は冷たく余計に寒かった。雨は5階くらいの高さのクレーン車の先端に取り付けられた大きなスプリンクラーのようなもので雨を降らせた。
さて食事は、朝は紅茶とインスタントのコーヒーとともに、食パンにピーナッツバターやジャム、ビスケット、オレンジとりんごが用意されていた。
加えて昼はケータリングでパンにサラダやミートソースのパスタにブラウニーなどが給食のように並べられ、各自自分で取り分けるのだが、列の最後のほうに並んだひとにはもはや何も残ってない状況で、早い者勝ちだった。そんなひとには、エキストラではないスタッフのお弁当が残っていたらしく、それを支給されていた。
自分でお弁当を用意しているひともいた。
そして、気になる私たちの時給は、10.5ドル。そのうちエージェントに10%引かれ、さらにしかるべき所得税も引かれる。
そしてエキストラのなかには、ACTRAと呼ばれる組合に属しているひとたちもいて、そのひとたちは10時のスナックのほか、ランチも別の食事が与えられる。時給も私たちの2倍以上。私たちは一日何時間働いても同じ時給だが、彼らの場合、一定の時間以上は残業扱いになり、時給が3倍になるという。おもに撮影は一日12時間、16時間はざらなので、一日で結構な額を稼ぐことになる。
ただし、そのACTRAのメンバーになるには一定の条件をクリアしなければならないらしい。一言でも台詞があるか、決められた期間内に決まられた時間働くと、晴れてメンバーになれるとのこと。一度メンバーになると毎年メンバーシップ料を払う必要があるが、その他もろもろ、それを補って余りうる厚待遇が受けられる。
撮影現場では、俳優が話す台詞以外の音は出してはいけない。エキストラはしゃべっている振りをするだけ。始めたばかりの私たちは、口パクで会話するのには違和感はなくなったが、ACTRAへの道ははるか遠いのだった。
トロントでは映画の撮影が頻繁に行われていて、街を歩いていると撮影にでくわすことがよくある。
その日トロントのオフィス街、Bayストリートのある一角は、アメリカのPhilidelphiaの街角になった。
道にはフィラデルフィア警察のパトカーが並び、エキストラの車のナンバープレートはフィラデルフィアのプレートに付け替えられ、通りの名もフィラデルフィアのストリートに変えられた。
土曜日、私とJ次郎は早起きしてスーツを着込み、朝6時に家を出て、仕事へと向かった。
これから2日間、私たちはBackground(バックグラウンド)と呼ばれるのだ。
まず登録を済ませ、持ってきた衣装を見せる。
この日はupscale(高所得者層)のオフィスワーカーに扮するので、J次郎はネクタイを締め、スーツを着込み、すっかりビジネスマン。IT業界に身をおいているJ次郎は普段オフィスへ行くときはビジネスカジュアル。ネクタイを締めるどころかスーツを着ることはほぼ皆無なのだが、この際にとインドでオーダーメードしたスーツが、意外なところで役にたった。私も久々にスーツ姿。靴もそれなりのきちんとした靴を履く。
エージェントからの指示には、メークも済ませ、指示された服装を着て仕事場へ赴くことと、予備の服装のセットを必ず持参することを告げられていた。
服装チェックの係りの女性は、予備のセットにと用意したやはりインドでオーダーメードしたカシミヤのジャケットをみると、あら素敵なジャケットねえ、肌触りもいいわ、といたく気に入った様子。そのスーツもいいけれど、他の人たちと同じような色なので、このジャケットを着てちょうだい、といわれ結局J次郎は全て着替えた。
私は持ってきた別のスーツを見せると、あら、これもいいスーツじゃない、でもあなたは今きているのでいいわ、ということで着替えなくてもよいことなった。
他のひとをみていると、旅行に行くようなスーツケースに服を詰め込んできている人たちが多く、あれこれいいながら服装チェックを受けていた。
初日はオフィスビルのロビーでのシーン。
エキストラは、立ち位置を割り振られていく。J次郎は2、3人で話しながらロビーを歩いていく係り。
私はなぜかひとりだけ呼ばれ、ここに立ち、俳優がビルの中に入ってきたらその後ろを通過してね、と指示を受けた。
ところが、俳優が入ってくると、2メートルくらい後を、ぴっちりとカメラが追っていて、なかなかタイミングが難しい。俳優は曲がるのだが私はまっすぐなので、俳優とカメラの間を横切ることになるのだが、タイミングを間違えるとカメラにぶつかってしまう。
そのうち、立っていていきなり歩き出すと不自然だから、かがんで、ソファーに座っている別のエキストラと話してから歩きだすように指示があったが、それだと俳優が入ってくるのが見えず、さらに難しい。
それでもなんとかこなしたが、それもなんだか不自然に見えるらしく、あーでもないこーでもないとAD同士が相談し、さらに指示が変わりソファーに向かってかがむ角度がかわったりした。
正直、その他大勢のなかでいるかいないか紛れているだけだと思っていたのでかなり面食らってしまった。
ちなみに私が話していたのは、子役の赤ちゃんの本当のお母さん。ベビーカーには本物の赤ちゃんを乗せていた。この赤ちゃんは双子で、ひとりがぐずつき始めるとすぐにもうひとりが連れてこられた。ちなみに赤ちゃんは4時間までしか働くことができないそうで、もう一組別の双子が用意されていた。
この日はあと2シーン撮影があり、私とJ次郎は全てに呼ばれて、7時に終わったときにはくたくたになった。途中12時からランチがあったが、時間が短く、あわただしく過ぎていき、ろくに休めたものではなかった。
2週間前のことになるが、J次郎がインターネットである映画のエキストラのオーディションの公募をみつけた。
J次郎は10代のころにエキストラの仕事をしたことがある。拘束時間は長いが、呼ばれるまでは何しててもいいから、好きなことができるし、食事もでるので、ちょっとしたお小遣い稼ぎにはいいらしい。
私とJ次郎の写真をメールで送り、予約をとった。
その日はスーツを着てビジネスの服装で来るようにとの指示があり、さらにその場でエキストラの登録もすることになるのだが、その際にはカメラマンが写真を撮るとのことで、それにお金を払う必要があった。
ところが当日の日曜は、天気も悪く場所がやや不便な場所だったこともあり、私たちの腰は重かった。
そして結局予定が立て込んでしまい、いけそうになくなってしまって、断りのメールを送ったのだった。
その一週間後、同じエージェントから、あらたに登録だけのオープンハウスがあり、服装指定もなく無料で登録できるとのお知らせをもらった。
行ってみるとそこはキングストリートのあるヨガ教室が会場になっていた。
登録用紙には、名前や国籍、身長などのサイズともに、どのような服装が用意できるか、またローラーブレードやスケートボード、自転車を持っているか、なども聞かれた。
特技の欄では特に書くことないなあ、とおもっていたところ、J次郎が水泳と書けと言ってきた。
冗談だとおもって軽く受け流したら、彼は本気だった。オリンピック選手並だったらまだしも、そんなのJ次郎のまつげにマッチ棒が乗っけられるのと同じ程度のものにしかすぎない。
そういうのは、たとえば空手ができるとか、バレエが踊れるとか、手品ができるとかじゃないのか、と言ったが、あまり食い下がるので、半信半疑で水泳と書いた。ふたりとも。
私はJ次郎にMCと書くように勧めたがそれは書かないと言い張る。
私はたまにJ次郎のスタンダードが理解できないことがある。
そして案の定、写真を撮った後、今回このエージェントを立ち上げた女性と挨拶をして、話しをしたところ、特技の水泳について彼女にくすっと笑われた。慌てて、消したほうがいいですようね、と申し出ると、別に消さなくてもいいわよと笑顔で答えてくれた。
普通はエージェントに登録するときはお金を払う必要があるが、今回は無料だった。彼女は自身のエージェントを新しく立ち上げたばかりだったのだ。
まあ無料で登録できて良かった、くらいにしか考えていなかったが、今日、そのエージェントから連絡がきて、週末のエキストラの仕事をふたり一緒に打診された。
こうして初仕事は意外と早くきたのだった。

↑ 後日生きてるカンガルーと戯れることになるとはこの時点ではおもいもよらなかったのだった。
C君と猫にお別れを告げ、サンシャインコーストを後にし、ブリスベンへ。夕方のフライトまでブリスベン一日観光。
川沿いを散歩していると、ビーチが出現。

なんと人口ビーチ。なんとも気がきいているではないか。水着の用意をしてこなかったのが悔やまれる。トロントにもこのようなものがあってもよいのではないか。
その後橋を渡ってシティーの方へ向かい歩き、The Pancakes at the Manorへ到着。

ここは実際に昔は教会だった建物を、現在はパンケーキ屋として営業している。


ランチセットを頼んだ。ランチセットは12.5ドルで、ごはんクレープと、デザートのパンケーキのセット。クレープは、3種類のなかから選べる。
↓ 私はホワイトソースのかかったシーフードクレープを、

↓ J次郎はトマトソースのかかったハムとチーズのクレープを選ぶ。

パイナップルは私がもらう。J次郎はパイナップル自体は好きだけれど、酢豚やハムと一緒にピザに乗っているパイナップルは苦手なのだ。
↓ デザートはアイスの乗ったパンケーキ。

その後シティーをぶらぶら歩いていると、街角で偶然シュークリームのビアードパパ発見。ちょうど3時のおやつの時間ということもあり迷うことなく買う。
実はオーストラリアに来る前に寄ったニューヨークでも食べたばかりだが、J次郎はすっかりビアードパパに魅せられてしまっているのだ。
仕事帰りのJちゃんと合流し、空港近くのアウトレットモールのDFOに寄る。あまり時間がなかったが、DIESELで気に入ったデザインのベルトをみつけ買う。時間があったらもっと買い物していたかも。
そしてお世話になったJちゃんとお別れして、シドニーへ向かった。

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3日くらい前、ダウンタウンのCollege Parkで、若い男の子が鉄腕アトムのバッグを肩から下げているのをみた。
それはホログラムになっていて、斜め右からみると普通のアトムで、角度を変え左斜めからみるとアトムの体内の電子回路図がみえるというもので、一目ぼれで買ってしまったひと多そうなバッグだった。
J次郎に話すと、自分も欲しいと言い出したが、幸いどこで買えるのかは知らない。
日本へ帰ったとき、どこかでアトムのワッペンなりシールなりを買ってきて彼のランチバッグに貼ってあげることならできるだろうけれど。
そして、今日は、昨日封切られたばかりのAstro boyを観に行ってきた。
AMCは週末の午前中の回は6ドルで観られるので、朝11時半の回でみたが、子供連れが多く、和やかで楽しい雰囲気。どこからか聞こえてくる会話や声がなんともかわいい。
予告は子供映画が主だったが、長めのディズニーの予告が終わると、もう映画はおしまい?と質問したり、トビー(アトム)が死んでしまったように見える場面ではおお泣きしてしまいあわてた親が必死で、大丈夫よ、となだめ、その後息を吹き返すとさっきまで泣いてたのが嘘のような喜びの歓声が聞こえてきたり。
今まで観てきた、J次郎の好きなオリジナルがアメリカンコミック系の映画では、会場で聞こえてくる野次や歓声は低く野太い声だったのに。
さて、映画は、いい映画だったとおもう。
実は私は一度も鉄腕アトムの放送を見たことがないのだが、J次郎は子供のころテレビで毎回楽しみにしてみていたそう。
彼と私の母との共通の話題がひとつみつかった。
そして、当時のわくわくした気持ちや、主人公のアトムに自分を重ね合わせて空を飛ぶのを夢みたりした感情を思い出したらしく、なんとも感慨深い様子。後で自ら告白したところによると、実は泣いてしまったそう。
映画が終わり席を立ちふと後ろの席を見ると、なにやら似たような様子の男性がもうひとり。子供を連れてきたお父さん、なんともいえぬ表情。
子供たちは泣いたり笑ったり忙しかったようだが、例えば博士の苦悩といったような散りばめられている深いところはどこまで理解しているのだろう。
大人たちとは裏腹に会場から屈託なくはしゃぎながらでてくる子供をみて、2、30年して彼らが大人になったときもう一度みたら、自分が大人になったということをしみじみ実感するのだろうな、などと思ったりした。
しかし、あのオリジナルで使われているテーマソングが聞こえてこなかったのは何かもの足りない。J次郎もそう感じたそう。
確かに半世紀近く前の日本のアニメソング。この映画にはふさわしくない、という監督のこだわりはわかるが、なにも声優に有名女優を使わなくても、そのお金で音楽もリメイクすることもできたのではないか。最近続編が作られたビバリーヒルズ青春白書(90201)みたいに。
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オーストラリアに行っている2週間、J次郎は楽しい休暇を満喫する反面、悩みに悩んでいたことがあった。
9月上旬ごろ面接に行った会社2社に、ありがたいことに2社とも採用の通知を受けた。
そしてなんと同じ日に、今の職場で再びインドへの出張の話を持ちかけられたのだ。今回も長期の出張で、プロジェクトとしても、また経験としても魅力的だった。
オーストラリアから帰ってきて、よく考えた末2社のうち一社に絞り込み、一社に断りの連絡を入れた。
選んだ一社は、面接に行ったときの会社の雰囲気がよく、殺伐とした今の職場と比べると社員たちの表情が明るく、給料の他の手当てもよかった。
インド行きは魅力的だったが、長い目でみるほうを選び、転職しようとほぼ決意を固めたところ、その会社からくるべきはずの今後の連絡が途絶えた。
なにかおかしいとおもっていたところ、なんと、申し訳ないが、募集していたポジションが社内からの応募で埋まってしまったという連絡が。
しかし、今後半年はJ次郎は試験に合格し、面接まで通ったという記録が残るため、その間J次郎がその会社に再び応募する場合試験が免除になるそう。
こうして3度目のインド行きが決まったのだった。
今回は拍子抜けしてしまいがっかりだったが、しかし、最後の最後まで今の職場に辞めることを告げないでいて本当によかった。
我が家で日々せっせと倹約に励む理由、それは趣味の旅行のためである。
週末にはそんな旅行好きには興味のひかれるトラベルエキスポというイベントが開かれた。
トロントではあちこちにみかけるフライトセンターという旅行会社が主催の、いわば販促のイベントで、その場で予約ができる仕組みになっていた。
会場に着くと、パンフレットの入ったこのようなバッグ↓が配れる。

折り畳めてとめられる優れもの。帰りにはもらったパンフレットでずっしり重たくなった。
↓ マイアミの公式ガイドブック。地図もついてきた。

このような公式ガイドブックはありがたい。よく目にするけれど、ここってこんなところなんだ、次の旅行先の候補にいいかも、とイメージが具体的になる。
各ブースでは、パンフレットのほかにおまけのグッズを用意しているところもある。
↓ この車の形をしたものは何かというと、

ジャムなどの蓋を開けるときに使うもの。レンタカー会社のブースでもらった。
今回一番の収穫は、これ↓かも。

日本政府観光局ブースでもらったパンフレットだけれど、特に一番手前のTokyo&Vicinity Walking Guideという小冊子。
16通りの、各最寄り駅からの東京の散策コースのガイドなのだ。
東京を外国人に案内するとき、意外とどこにつれていこうかアイデアが浮かばなかったりするが、これがあれば心強い。
日本政府観光局
Japan National tourist Organization (JNTO)
Toronto
481 University Ave. Suite302, Toronto
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滞在しているサンシャインコーストのCaloundraから1時間ほど北に車を走らせ、Great sandy National Parkへ。週末だったので、JちゃんとC君の強いお勧めで、ビーチでキャンプをするのだ。
カナダ育ちのJちゃんに、(カナダみたいに)熊はいないんだよね、と確認すると、心配ないわよ、いるのは蛇とディンゴだけだから、とさらっと返事が返ってきた。

朝8時半ころ到着。砂浜は、帰るひと、着いたひとびとの、4WDによる民族大移動が始まっていた。けっこう飛ばしている。
気をつけないと、歩行者は車に引かれてしまうそう。実際、毎年死亡事故がおきているらしい。
↓ なんとかみつけた場所に陣取った。

↓ 足元をよくみると、タイヤの跡のほかにこんなものが。

それは、この小さなカニ↓が掘ったものだそう。

キャンピングエリアであるこのあたりのビーチは、波が高く、泳ぐというより、荒波と格闘。海からあがった後は、ハードなエクササイズを終えたような感覚になった。

それでも、サーフィンにはぴったりなので、J次郎はC君に習い初サーフィン体験。

そして、車を走らせビーチの端であるDouble Island Pointに到着。ここからは車を降りて歩き。
↓ ここから登ると、

↓ 少し登っただけで見晴らしがいい。

砂浜からすぐのところをイルカの群れが泳いでいるのが見えた。
↓ ひたすら登ること30分近く。頂上の灯台。

その間C君はひとりだけずっと裸足だった。さすがオージー、と感心する。
↓ まさに絶景。このどこまでも続くビーチがキャンプ場になっている。

よく目をこらして海をみると、近いところでは海亀やエイ、そして遠くのほうになんと鯨の姿も確認できた。

↓ J次郎。この写真ではよくわからないが、かなり崖ぎりぎりに立っている。気分はポカホンタス。

しかし、我々ふたりからはわからなかったが、実は道のほうからは人々に丸見えだったらしく、道行くひとびとがみなJ次郎をまねて腕を上にあげながら歩いていたそう(Jちゃんが教えてくれた)。
↓ 夜もふけてキャンプファイヤー(C君作)。一度やってみたかったマシュマロ焼きにも挑戦したりした。

周りをみると、暗い中、ぽつぽつと他のひとたちのキャンプファイアーの火が見える。しかし、実際はキャンプファイアーはしてはいけないそう。それでも皆しちゃうのがオージーなんだ、というC君。この、ほんとはいけないんだけれど、しちゃうのがオージー、という言葉、それからも何度となく聞く。
翌日は少し離れたところにある別のビーチ、Rainbow Beachへ。

うってかわってそれはそれは穏やかな、美しいビーチ。やっと泳ぐ、という行為ができた。

こうしてディンゴにも蛇にも襲われず私の人生初のキャンプは無事に終了。草むらで用を足すのもおしまい。
帰りは少し南下したところにある、Noosa Headsというビーチへ。ここらへんきってのおしゃれエリア。

食事をしてから野生のコアラを見にいくが、この日は会えず。そして日が暮れていった。
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