31日目 午後3時に電話での経過確認の電話がかかってくるはずが、夕方5時過ぎて電話はかかってこなかった。5時近くになってJ次郎が電話して医者と話せた。
別の医者と話してヒールを1枚すでにとったことを告げると、それは早すぎると言われる。この日に1枚とることになっていたので、次回2枚目は2週間後にとるように念を押される。2週間後ということは、1枚目のヒールをとってから3週間経過することになる。次回も電話での診察で、3週間後とのこと。
アキレス腱断裂日記inトロント①~真っ先に行くべきERの病院~
17日目 午後2時。ウエスタン病院。
待合い室は込み合っていて、かろうじて空いている席に座った。隣に座った声の大きい中年男は長い待ち時間に不満たらたら。電話の声も大きい。ここで、私はJ次郎の様子がなんだかおかしいのに気づいた。後で聞いたところによると、その男と面識があったのだった。その男もなんとなくちらちらと私たちの様子を伺っていて、付き添いの女性に目配せしたりしていた。
日本旅行を1週間後に控えたある日のこと。通い始めたムエタイにはまっていたJ次郎は、その日あと5分でクラスが終了というとき、右足首に衝撃が走った。もはや痛いので全く歩けない。
J次郎のアキレス腱断裂療養がはじまったのだった。日本行きは当然キャンセルとなり、円安の日本を楽しむという夢もはかなく消えてしまった。
装着した後、60分待って、さっそく夕食にほうれんそうをいれた玄米の雑炊をたべたら、わずか30分で一気に200まで上がってしまい焦った。典型的な血糖値スパイクが起きていた。玄米の量は炊いたもの70gとたくさん糖質を摂ったわけではなかったのに。
翌日の早朝4時ころ、アラームによって起こされた。血糖値が70に下がったことの知らせだった。前日の夕食で血糖値が急激に上がったことの反動らしかった。
なんとなく自覚はあったけれど、こうして数値化されるともう自分は血糖コントロールが苦手なのだということがはっきりと認識できた。正直落ち込んだ。健康のため毎日こんなに頑張っているというのに。一体どうすればいいのやら。
私は低血糖症と診断されたことはないが、血糖コントロールが苦手な体質だという自覚がある。食事時間が長時間あきすぎると生あくびがでて気持ち悪くなったり頭痛がしたりといった低血糖症状がでて、辛い。それで、日ごろから血糖値の乱高下を防ぐために、玄米を食べたり、砂糖は摂らないといった、食生活をしている。
フリースタイルリブレという腕に随時装着して血糖値をモニターできる装置があると知ったときは、画期的だとおもった。夜間寝ているときの状態も知ることができるなんて。