夫に謝罪するなら金をくれと言ってみたら

1 year ago

ごめんね、どう償ったらいい?と優しく聞いてきたJ次郎に、私は静かな口調で答えた。

お金で償ってほしい。謝罪の言葉はもういらないから。

J次郎は鼻で笑った。いつものブラックジョークの類だとおもって。

私は涼しい顔でつづけた。WISEで100ドル、いつものように日本の私の口座に送金して。その分は私の私的なお金としてその後私の証券会社の口座に移すから。

J次郎は苦笑いをするばかり。しかし、私は本気だ。いい考えをおもいついた。これからはこれで行こうと思う。

 

そもそも、お願いだからやめてほしいと切実ににずっと言い続けていることを、なぜJ次郎がやめないか。真剣に考えた。

そして、行きついた考えは、ふたつ。

一つ目は、J次郎は困っていないから。困っているのは私だけ。だからJ次郎が自分で解決策を考える気はさらさらない。

二つ目は、罰則がないから。

 

こうして、私が怒ってJ次郎が必死に謝る、が無限ループのように繰り返される。正直うんざりしているのが実情だ。

これに対する解決策は、J次郎がそれをしたら困る状況を作るのだ。

 

中学2年生の時、担任教師に暴力を振るわれた。

それは掃除の時間だった。私はAちゃんとふたりで廊下掃除を割り当てられていた。私は効率よく終わらせるために、Aちゃんに提案した。廊下の面積を2分割し、右側をAちゃん、左側を私、という具合に。Aちゃんは快く応じ、廊下掃除をさっさと終わらせAちゃんと談笑していた。そこへあの男がとおりかかり、掃除は終わったのか、ときかれ、はい、終わりました、と感じよく笑顔で答えた。その途端、あの男は私の髪をわしづかみにして、床に引きずり倒した。そして、Aちゃんの頭をはたくと、廊下に置かれたテーブルを大きな音をたてて乱暴にひっくり返し、なんだこれは、と怒鳴った。テーブルの下は、しっかり掃除されておらず、よくみるとごみがわずかに残っていた。そこは、Aちゃんが掃除したところだった。Aちゃんは泣き出した。私は泣かなかった。ただ、屈辱感でいっぱいだった。大勢の生徒がみていた。私は見せしめにされたのだ。あの男の力を誇示するために。後でAちゃんは泣きながら私に謝ってくれたが、別にAちゃんが悪いわけではない。悪いのは、暴力をふるうあの男なのだ。

あれから30年以上たつが、あの時のことは忘れられない。今でも思い出すと強い怒りを覚えるほどだ。今だったら、その足で保健室に逃げ込んで、ぶつけて骨が痛いなどと言って大げさに被害者ぶって騒ぎ立ててやればよかったと思っている。でも当時の私はこどもだった。非力だったのだ。

ふと気になって、なぜあの男がそんなことができたのか、調べてみた。そもそも当時の法律でも教師による体罰は認められていないはず。では、なぜ。

調べてわかったのは、法律で体罰は認められていないが、あの程度の体罰ではせいぜい戒告程度で、あの男にとって特に困ることはなかったのだ。それよりも、暴力で非力な立場のものを支配するという支配欲を満足させることができるし、暴力といういじめ行為をしているときはドーパミンという快楽ホルモンがどばどばでて、彼にとってメリットがデメリットを上回ってしまうのだ。

教師によるしつけという名のいじめのターゲットになったのは、女子やひ弱な男子だけだけで、威勢がよく体格の良い男子はターゲットにはならなかった。その後、とある見た目はひ弱な男子に暴力をふるったところ返り討ちにあい、殴り返されたそう。その時は、まあ、落ち着け落ち着けと必死にその生徒をなだめすかし、相当びくびくしていたそう。

 

しかしなぜ、Aちゃんより私が受けた暴力のほうがひどかったのか、最近ストン、とふにおちた。そしてそれは、謝罪するなら金をくれというアイデアにつながっていったのだ。

 

続く。

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